■ DOG VILLE
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2004年03月01日(月)
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こんな映画に関われたらちょっと鼻高々だろうなあ。すごく羨ましかった。現場にいたかった。 画面の役者たちは特別なことは何一つしない。与えられた場は白い線で区切られたセット。 家のドアを開け閉めするのはマイム。(ドアの音は入る)。その、映画の常識からは外れたやり方が後半で俄然観客の創造力をくすぐる結果になろうとは……すべて監督の計算道理だったはずです。すごい。 「善意」という人の心理の危うさをすべての登場人物が「何も特別なことしないで」現していた。こういう場合 役者には監督からどんな指示が出てるのだろう。知りたい。 劇の後半で明らかに「エゴ」をむきだしにしだした男と「無垢のまま」の主人公(ニコール・キッドマン)の、どこかに私にでもわかる表現上の違いが出ていないかと、必死で目の色とか息使いとかを探したが、二人の役者は「同じ作業」で役を演じているとしか考えられず、この映画の現場への憧れはますます強くなるばかりでした・・ ふと「津山大量殺人事件」のドキュメンタリー読んだときと似た気分にも襲われました。エンディングタイトルに デビット・ボーイが流れると妙に腑に落ち、じわっとしみこんで来る様な・・(何がだ!)歌詞と映像が 不気味なくらい合うんですわ、これも監督のねらいでしょう。 人の心の闇や、コミュニケーション不足を嘆く作品は数あるでしょうが、これほどまでに人間の方向を指し示して鮮やかな作品は見たことなかったです。監督は男前な人だろう、さぞかし。 ニコール・キッドマンも男前だった。……95点
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