メル・ギブソンは10年も前からこの映画の構想を練っていたというのですがその結晶がこの映画だとすると 私は彼とは何を共有していいのかわからん。(おまけに多数神の風土で育った日本人だし、私は) メル・ギブソンは国粋主義だとさえ思えた。 キリストに人間的な感情を語らせず、あくまで神の媒体とした視点はとても判り易いものだったけれど、そしてそれを「見届けなければならない私たち」へのパッション(受難)だということは感じたけれど、それだけじゃすまないこの不快さ。 キリストが徹底的に拷問を受けるさまを描く画面の端々に彼の過去の言語録をはさみこむのですが、その中のひとつにこんなのがあった。
「味方を愛するのでなく、敵を愛しなさい。味方を愛したって何の足しになるでしょう」
と語る過去のキリストの姿。 その過去の挿入の仕方から観客である私が汲み取ったものは
「そして敵を愛すことに徹した結果はこの拷問である」「敵はつぶしておかねばならないのだ」
というメッセージでした。 まるで戦争を容認するかのようなこの裏メッセージには寒気をおぼえました。 頭のいいメル・ギブソンがこのような私の不快感まで計算の上だったというならその計算は何の役に立つのでしょう。誰か、教えて下さい。……−20点
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