プロフィール/NANYA-SHIPとは/何故私は歌うのだろう

 

 


 南谷 朝子(みなみたに あさこ)

 東京都中央区日本橋出身、2月2日生まれ。
 都立上野高校〜成城大学文芸学部卒業
 学生の頃より劇団木冬社(清水邦夫、主宰)にて、俳優活動スタート。
 退団後も、舞台活動を主に映画、TV、ラジオ等で活動中。
現在は、青年座映画放送(株)所属。
 同時に自身の創作集団NANYA−SHIPを立ち上げ年間1〜2本の公演活動も続ける。
 2004年6月27日、南青山MANDALAにて初ライブ。
 「遅れてきた歌姫」は、音楽活動をスタートさせた。
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 南谷朝子を中心に結成されたプロデュースシステムの演劇集団。舞台上で演奏される音楽と芝居の中のせりふ、それらが融合した時のパフォーマンスに早くから着目する。「音楽の中のコトバ、コトバの中の音楽」を常に探求し続けている。選択する作品のテーマを見ると、古今東西の家族や兄弟、血のつながりにまつわるものが殆どで、誰もが共通に持っているであろう「感覚」がもとになっている。
 渋谷のジアンジアン劇場で1994年活動を開始。以後1年に2本のペースで音楽と演劇の混在する舞台を作り続けていた。21世紀の幕開けとともにジアンジアンが閉鎖されてからは、シアターX、ザ・スズナリで新作を作っている。
 尚、南谷は、コンテンポラリーダンス界の第一人者・中村しんじ(振付、演出家)との交流を通し、2000年9月に中村しんじ演出「ピノキオ」(新国立劇場小ホール)の台本を執筆。中村の主催するナチュラルダンステアトルとの共同作業も楽しんだ。
 NANYA-SHIPの”音楽”と”演劇”の混在の中に新しく”舞踏”も混在していくことは、こらからの作品のなかで見守ってゆきたい。

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 長い間私は、「ひとのことば」を身体に入れて泣いたり笑ったりする事を、生業にしてきた。
 ひとの書いた「ことば」に、自分の魂が乗り移る瞬間に快感を感じていた。 俳優という生業に。
 でも、一方でずっと『何かが足りない』という欠落感が私に付きまとっていた。……『何かが足りない』
 20世紀のおわりに、渋谷のジャンジャンで音楽劇を創った。その時 早川義夫 の音楽に出会った。 
『埋葬』という曲を歌う。「足りない何か」の一つが、モゾモゾと動くのを感じた。……それはメロデイーだった。
 早川さんのそのメロディーは、その舞台に居合わせた全ての人々を浄化するようだった。
 次に、私は小学校の頃の日記を引っ張り出してみた。マンガ付きの「詩」がたくさん書いてあって『詩人になりたい』とあった。 
「足りない何か」のもう一つは、「自分のことば」だと思われた。
 21世紀になると、俳優の仕事のお供にギターを抱えていった。
 日本の各地をギター片手に歌を口ずさむ日々を過ごした。
『詩人になりたかった』私は「自分のことば」をギターのコードに乗せ始めていた。
 2003年、南青山マンダラで音楽劇を創った。 その時も早川義夫の曲「父さんへの手紙」歌った。
 ブッキング・マネージャーに「一人で歌ってみませんか?」と誘われ、私は弾き語り歌手への第一歩を踏み出した。
 もとより「ことば」を届ける仕事をしている私が、こんどは「自分のことば」をメロディーにのせて歌う。……
 歌い始めた私に、耳を傾けるひとが増えて、私を後押ししてくれる。
「もっと、もっと、もっと、南谷朝子のことばを聴かせてくれ」……と。
 こうなったら、一人でも多くの人に「私のことばに私の魂が乗り移る瞬間」を見届けて欲しい。 と今は思う。

  2006年1月吉日  南谷 朝子

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